2008年7月 巻頭言

御津医師会会長 菅波 茂

6月15日に開催された日本プライマリケアー学会「災害医療のプライマリ・ケアー」ワークショップに参加した。私はAMDAの世界各地における災害救援活動と得られた教訓を紹介した。その時にシンポジストの一人であった小千谷市魚沼市川口町医師会理事の上村伯人先生から、中越地震で自らも被災者となりながらも救援活動を行った医師会の活動記録をいただいた。

「被災した医師会の活動は大変である」という一言に尽きる。何が大変かを具体的に挙げてみると、全国から押し寄せる善意のボランティア医師あるいは医療チームの受け入れ。被災者医療活動とのマッチング。医療のみならず生活支援・通信手段や輸送手段の確保。諸活動の記録。「災害医療コーディネーター」としての役割等々。

善意のボランティアは帰る所がある。しかし、被災地の医師会は帰れない。無制限一本勝負である。

避難所や病院は、善意のボランティア医療活動の活動現場としての対象になる。通常は、一般開業医の診療所は対象外である。それでも開業医の診療所が地域住民の医療拠点になることがある。各自治体は地域防災計画を策定しているが、開業医はその計画の対象外である。地区医師会としてはどうすれば良いのだろうか。

「一見は百聞にしかず」とは名言である。1995年1月17日に発生した阪神大震災被災者救援活動としてAMDAは長田区中央保健所を活動拠点として、全国から応募のあった、延べ1千5百名の医療従事者を派遣した。14日間で撤収した。長田区の開業医復帰率が50%を越えたからである。それは水と電気のインフラの回復をも意味した。被災直後からしばらくの間、長田区医師会は機能しなかった。あまりにも未曽有の被災だったからである。

御津医師会として災害対応医療を如何にすべきか?被災地医師会の応援については? 被災地医師会となった場合、応援の受け入れについては?応援する立場と応援を受け入れる立場。これは決定的に異なる。共に考えたい。

投稿日時: 2008-07-27 20:25:45 (1373 ヒット)


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