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2021年4月 巻頭言

巻頭言

 

御津医師会理事 大橋 基

 

 岡山市でDNAR(Do Not Attempt Resuscitation)指示の方のCPA(Cardio Pulmonary Arrest)での救急搬送依頼が昨年一年間で20件あったそうである。東京消防庁ではかかりつけ医と連絡が取れて、DNARが確認されたらCPR(Cardio Pulmonary Resuscitation)を中止できるという運用を開始しているが、岡山市消防局は救急要請があれば必ずCPRを施行しつつ搬送するという方針に決定したとのこと。「DNARとは、心停止の時に心肺蘇生をしないことで、治療の不開始、中止の一部であり、さらに終末期医療の一部です。今、高齢者、ADLが低い、コミュニケーションが取れない、認知症というだけで、ACPのついでに事務的にDNARの同意を取っておこうとする動きが出ています。それは医療者が、患者さんの人生を単純化したいという思惑があります。この同意書があれば、その患者さんは、『もはや生きる気がないから、医師があまり悩まなくていい』 という目印になるからです。これは非常に危険な事だと思っています。DNARはカルテに目立つように載ります。まるでスタンプを押されるようです。そこに揺れ動く気持ちや、複雑な事情があっても、全てはマスクされ、医療者には、ただの『生きるつもりがない』 と言うスタンプに見えます。それが、病院や自宅で、急変しても、何も治療しなくていい。つまり心肺蘇生だけではなく、他の治療も差し控えられるようになり、救急車を呼んではいけない。という拡大解釈になる危険性があるのです。」(タケダ・クララ)という意見もある。DNAR指示の方に対しても安易に必要な処置を放棄することは許されない。岡山市消防局はDNAR指示で心肺停止なら何もすることはないかもしれないのだが、救急搬送の要請があれば、原則CPRを全力で行う方針で真剣に命と向き合うこととしたとのこと、頭が下がる。ただ、救急要請するのならそれは当たり前のこととして理解しておいてほしい、救急車を呼んだあとで救命してほしくなかったとは言わないでという思いもあろう。 
 ちなみに皆さんが医学的知識を駆使して、さらに自分の人生を踏まえて、心臓が止まった時に、助けてほしいかどうか、自問自答してみて欲しい。生命体として終わりの場合、自宅に帰れない場合、植物状態になる場合は助けてほしくないというのが多くの方の共通の思いであろう。しかし、救命救急の処置などやってみなければ結果なんかわからないというのも医療者の本音ではないかと思う。医療の不確実性は日々感じているところである。それでも、という思いがあるなら、十分に話し合い、可能性を検証して共通理解を深め、いろいろな決定に納得できるようにするしかない。そしてその事がACPを行う、と云う事なのである。そうであるならば、ACPの普及啓発によって救急隊の悩みは少なくなる可能性がある。
 

投稿日時: 2021-04-08 11:41:52 (316 ヒット)

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