リビングウィルと死生観と看取り文化と
御津医師会副会長 大守規敬
去る11月3日、第7回御津医師会学術シンポジュムを皆様のご協力のおかげで無事、盛会のうちに行うことができました。お世話になった方々に感謝し、御礼申し上げます。
今回のテーマは「リビングウィル これからの私たちの健康観」と題して開催しました。
リビングウィル=事前指示書と呼ばれているものです。冒頭に自主制作の短編映画を上映し、一例として救急搬送の現場での緊急延命措置の判断という問題を投げかけました。今回のシンポジュムは、解答や指標を示すものではなく「こういったことについて普段から家族で話し合い考えておきましょう」という啓発を行うものです。その点で成果はあったのではないかと思っています。
しかしながら、この問題は、2時間では議論しきれない奥深いものがあると思います。
ある調査では、終括やエンディングノート、この事前指示書の、言葉や意味はある程度知られるようになりました。にもかかわらず、実際に書いているかどうか尋ねると、書いている、書いたことがあると答えた人はその数%でした。リビングウィルは理解できても何故書けないのでしょうか。まだ先のことだから、元気なうちから死ぬことを考えるのはどうかな。とか、具体的な選択肢がわからない、その結果が想像できないから。一人暮らしで家族が遠くにいるから。いろんな状況(事故、病気、老衰、癌)で変わると思うから。本人に意思決定能力がないから。などなど、考えられます。
背景には、核家族化、長年死が刑罰として使われてきて、死=敗北で、忌み嫌われるものという染みついた印象、選択肢を選ぶ上での情報不足、などがあると思います。
一方、最後を迎えたい場所のアンケートをとると、自宅が過半数をしめ病院などの医療施設と答えた人は27%でした。また91%の高齢者が延命治療は行わず、自然にまかせて欲しい、と答えています。延命を積極的に希望された方は僅か4.7%でした。
ということは、これからは、やはり在宅看取りの環境を整えていかなければならないということになります。そのためには、医療・介護の資源も必要ですが、本人とくに家族に次の3つのことが必要になります。まず気力と体力の充実、次に肉親を看取る覚悟、そして看取りの知識です。さらに重要なことは死生観だと思います。今回シンポジュムでは、健康観という言葉を使いましたが、市民はもとより医療・介護関係者にも死生観が足りないという指摘もあります。死生観がなければ、病気と老衰の区別もできず、リビングウィルへと導き支えることもできず、国が掲げる「キュアからケアへ」の移行も進みません。
戦前までは、学校の家政学の授業で看取りを教えていたそうです。その看取りの文化がこの数十年、病院で死ぬことが常態化し失われてきていたのです。欧米では1960年頃から在宅死が普通になってきているとのことです。宗教などのベースもあるでしょうが、日本もやがて、近い将来、いや、すでにもうその時期なのかもしれませんが、そうなっていかなければならないのでしょう。まだまだ問題は多いな、と思う部分もありますが。
私たち、開業医、医師も、これからの健康観・死生観を常に考える必要があると思います。その上で、決してそれを患者・家族に押し付けず、個々の患者の死生観や価値観を柔軟な発想で把握し、尊重しつつ、選択を支援してゆかなければと考えています。
また皆様のご意見もお聞かせ下さい。 (資料:平成27年版高齢社会白書 内閣府)
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