2019年4月巻頭言

 巻 頭 言

御津医師会会長 中山堅吾
 
 平成もいよいよ終わりを迎えようとしております。会員の皆様にとって平成はどんな時代だったでしょうか。御津医師会で言えば三村先生が亡くなられた後、近藤洋一先生が医師会長をされ、その後会長は2年ごとに変わっております。その間地域とのかかわりを重視し、在宅医療と現在の地域包括支援ケアシステムを、時代に先駆けて推進してまいりました。また継続的に独自の医師会活動を進めてきております。
 平成27年には、吉備医師会から高松・足守地区が御津医師会に合流して、県下で4番目に大きい医師会となりました。さらに、この間に法律が変わり、当医師会は公益法人から一般社団法人となり、このため医師会が積み立てた財産を公的目的のために使用するようにとの行政指導がありました。当医師会としては、この財源を夜間診療輪番制や御津医師会シンポジウム等地域のために使ってまいりましたが、平成最後の30年度で財源が終了いたしました。しかしながら、今まで行ってきた公的事業は医師会の役目の一つとして、形は変えながら今後も続けて行くつもりです。また、医師会員の利益のための活動も考えていくつもりですので、会員の皆様のお知恵もぜひお借し下さい。会員相互のより良い関係を築くために、懇親会も積極的に開催しようと考えておりますので、宜しくお願い致します。
 さて、平成元年の私と言えば、山口宇部の国立療養所山陽荘病院(現在の国立病院機構山口宇部医療センター)に勤務しておりました。山陽荘病院は海辺にあり、仕事ものんびりしていて気に入っていたのですが、医局の人事異動で吉備高原医療リハビリテーションセンターに転勤させられました。私は卒後岡大の第二内科(木村内科)に入局し、喘息グループに配属され、主に重症喘息の研究と小児の喘息キャンプに関わっていました。吉備高原医療リハビリテーションセンターで小児の喘息キャンプをするために異動させられたのです。昔は教授と人事権を持つ医局のスタッフの意向で、医局員は将棋の駒の様に動いておりました。これはこれで良かったのではないかと思っております。私も行く病院それぞれで特色のある勉強をさせていただき、また数多くの先生方と知り合いになり感謝しております。余談ですが、平山医院の大森浩介先生とも山陽荘病院で知り合いました。医局に権限が集中するとの危惧があったようですが、中四国の関連病院にくまなく医師が配属されていたのです。これはすごいことだと思います。現在医局の権限がなくなったためと、新制度での卒後研修による研修医の大病院志向と専門医ありきの研修による弊害は大きいと思います。医局という医師を配属させるコントロールセンターが機能しなくなれば、地方で医師不足になることは容易に想像できたことだと思います。
 病院だけでなく中山間地では、人口減少や後継者不足による医師不足が問題になりつつあり、医療難民地区が増えております。この問題に対しては、今後県医師会も含め地区医師会が深く関与していく必要があると思います。当医師会もエリアは市街地から御津等中山間地まで広範囲に及んでおり、この中山間地における開業医不足の問題は、住民とともに次の世代のためにも考えなくてはならない問題と思っております。      
 

投稿日時: 2019-03-29 14:55:50 (18 ヒット)


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